2007年07月

2007年07月30日

『草迷宮』観劇記
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『草迷宮』を観に行ってきました。逗子の駅を降り、バスに乗り換え、秋谷で下車、若命家長屋門前にて琵琶演奏を聴いた後、灯籠の径をそぞろ歩いて、正行院本堂にて芝居という趣向。泉鏡花の幻想的な世界へ徐々にいざなわれてゆきます。舞台は蝋燭の仄かな灯りのなか、静寂な中に響く尺八の音色で始まります。と、物語の中盤近く、突然の雷雨。これは天然の演出!激しさを増す稲光と雷鳴の効果も相まって、100年前の物語が目の前にいきいきと姿を現しました。こういう「生」の瞬間に立ち会えた時、芝居のおもしろさを感じますなぁ。

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こちらは打ち上げ会場…ではなく帰りの車中でのスナップ。左より、俳優座の渡辺さん、演出の篠本さん、サカモト、民藝の岡橋さん。お疲れさまでした!

(02:08)

2007年07月23日

泉鏡花 草迷宮

2007年7月28日(土)・29日(日) 午後6時開場

於 逗子秋谷黒門前 正行院

演出:篠本賢一

出演:藤田三三三、増山浩一、渕野陽子(青年座)、坂本容志枝、
   渡辺聡(俳優座)、岡橋和彦(劇団民藝)、他  
   尺八演奏:渡辺淳

亡き母から聞いた手毬歌を探し求めやってきた秋谷屋敷で、次々に怪異が・・・。
鏡花が草迷宮を執筆した逗子の大自然に、鏡花の文体が躍る!



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(01:24)

2007年07月22日

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クモリゾラ、湿った空気吸って

アートパフォーマンスにはまっている。たった5回のワークショップだが、全体を通してのテーマでもある「Me Being Me=私が生きること」に沿って探っているうちに、たくさんの発見があった。私という存在は、様々な部品から成り立っている物体であるということを改めて確認したり。

芝居をやっていると、特に稽古に入ると、それ以外のこと…家族との繋がりや生活のための仕事など…は障害に感じることがある。集団でものを作る場合には共通の意識と集中力が必要で、入り込まなければできないのだが、逆に見失っていることもある。

パフォーマンスというものを見て、表現するという点で、芝居との共通点が多いと感じていたが、実際は、全く違うものであった。師であるターリさんは「ありのままを表出させること」「出来不出来は関係なく、真摯に挑むこと、それだけ」とおっしゃった。いたってシンプルだが難しい。自分を見つめると自分を取り巻くさまざまなものが見えてきて、それら全てを含めて自分なのだと知る。

***

私がこんなふうに7月を過ごしている間、サカモトは「草迷宮」の稽古で台詞と格闘していた。間もなく本番、楽しみにしている。8月になったら、ZORAの稽古を始める。いよいよ、夏!

(00:28)

2007年07月16日

八月の鯨

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たまに吉村さんが私のことを書いてくれるので、吉村さんのことを書いてみようと思いました。自分のことを書いているぶんにはお気楽であったりするのですが、人のことは苦手です。でも吉村さんも私の事を書きながら自分のことをふりかえっているのかもしれません。最近、本当に関わりあえる人って実は少ないのではないかと思います。吉村さんは愛情を見返りなく人に与えられる人です。そういう人は稀有ですね。こんな私でもそういう人と出会えてありがたいなと思っています。ずっとずっと時が経ったら「八月の鯨」のような作品をやりたいな。勿論、リリアン・ギッシュは吉村さんで、べティ・デウィビスは私です。そして私達をつつんでくれるよき演出家の方とめぐりあいたい。フー…今回はどうも手前味噌でした。

台風も過ぎ去りあと2週間で「草迷宮」の公演です。自分の癖、セリフの性質を鑑みるいい時間をいただいています。そしてはじめての姥役。それともうひとつ役が増えて、そちらも大変。なんとウサギちゃんをやることになり、ウサギの仮面をかぶって手まりをつかなければなりません。汗だくです、でも汗かいたウサギなんて見たことないですからね。どうしましょう。何はともあれチケットは完売していますが、こんなことをやっているぞー!ということで、演出家の篠本さんが主催する遊戯空間のホームページをのぞいてみてください。あーそろそろ虹が見たい。

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(01:50)

2007年07月09日

四角い空をナイフで切り裂くと
見たこともない風景が現れた

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イトー・ターリさんのアートパフォーマンス・ワークショップへ通い始めて、今日は二回め。そもそもアートパフォーマンスって?ターリさん曰く「生きることそのままを表出させること」あるいは「物事に対して角度を変えて、このようにも見える、と恐れず、提出すること」わかったようなわからないような。今日のテーマは「物に触れ、そこから対話をはじめる作業」。稽古場には様々な物がばらまかれた。わたしはアルミホイルを選んだ。そして見つめ、触れ、対話をした。触れる=「手で」という発想しかないので、手でこねくり回していると「手は頭と結びつきやすいので、手は使わずに」という助言が入る。なるほど。足や顔で触れてみる。

何のためにそんなことを?うまく言えないが、物ととことん対話していると、まるで空が破けるような感覚が突然降ってくる。それが何になるの?うまく言えないが、背負ってるもの、囚われているものが、ふわりと開放される。本来の感覚、本能、じぶんが見える。(今回はその発端が少し見えた)・・・来週の課題を貰い帰路、木や行き交う人を不思議な気持ちで眺めながら歩いた。

芝居作りのためのひとつの勉強のようなつもりで参加したが、もっと根本からぐらりと揺れ動いてしまいそうだ。じぶんであること。そこから逃げてはいけない。

(00:54)