2007年03月

2007年03月26日

魂の修行

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予定されていたことが急にキャンセルになり、ふと涼しい風が吹くことがある。その日は能の稽古日。病みあがりの体をひきずり青山・銕仙会に着くと、先生が急にお休みになり出席者もわずか3名と知る。張り詰めていた糸が一気にほどけてゆく。3人で悠々と能舞台を使わせていただき自主稽古、そして解散。まだ少し咳きこむ体を抱え表参道の地下鉄に潜ると、ある舞踊家の方とばったり会い食事に誘われる。早く帰りこの風邪を治すべく床につきたい気もしたが、気が弱くなっている寂しんぼうは人恋しく行く気になった。

ゆったりとした時間の中でマスターのおまかせ料理と熱燗を飲みながら、女同士、話は深くなっていく。その人は今年、得度するという。ああうらやましいなと、ふと思った。業のように持っている煩悩を見ないように見ないように意識づけするようになった自分を思い出したのだ。でもその煩悩さえ時の力を借りながら今はコントロールできる。それが人間だと言い聞かせてきた。魂の修行は、どこにいても誰といてもきっと強い人間ならできるだろう。でも人間は弱い。だから踏ん張る。人の心を傷つけてまで強い人間になんてなりたくない。

代々木八幡でその方と別れ、生温かい風に吹かれ、私にとっての魂の修行は何なのだろうと思った。最もらしい言葉は見つからないが、きっとこれまでよくしていただいた人達と時間を共にしていくことしかないのかもしれない。そしてさまざまな欲の中で醜くなろうともまだまだ現役であり続けたい。これまで自分中心に生きてきてしまったけど、この年になってやっと親への感謝の気持ち、人の痛みが少しだけどわかりかけた気がするのだ。だから役者としても本当にこれからだと思っている。だって役者は魂を扱う仕事だから。道は険しくとも生きがいのある仕事です!

(00:55)

2007年03月19日

春の雪

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携帯電話の普及で人を待つ楽しみがなくなったなぁと思っていた昨今。一応夫が居るので大きな声では言えないが、昔すごく好きな人がいた。その人と別れる時にもう二度と生きて会うことはないだろうと思った。20年経ちインターネットが普及しひょんなことからその人の20年後の笑顔を見てしまう。見ない方が良かったと思いながらも心が揺れた。

劇場に足を運ぶ。毎度ぶ厚いチラシの束を手にすると「演劇したい人」の多さに圧倒される。自分の思いついたことややりたいことはもう既に別の人がやっていて、余地がないのではとの思いにも駆られぐったりとした気分にもなる。やりたいことがあるかないかより、やるかやらないか、この差は大きい。さらにそれを見たい人がいるかという問題も。良い本と、演出家と、スタッフと、役者と…たくさんの力で芝居が出来ることなどわかっているが、ともかく二人で始めたのには「希求」があったからとしか言えない。そうしてやってきたが、時に絶望的にもなる。二人では限界もある。でも、やる。

私が彼を見つけたように、彼も私の20年後を見るかもしれない。恐ろしいけど、シワもシミも刻んだ顔で「お久しぶり」と堂々と見据えるのだ。

(00:55)

2007年03月11日

子午線の祀り

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昨日、2年前に出演しました「子午線の祀り」のビデオを久しぶりに見ました。私は演出の観世榮夫さんから源氏と平家の壇の浦の合戦の場面を、攻めいく源氏側の語り部としてキャスティングしていただきました。日本語というものをきちんと勉強してこなかった私にとって、日本語の音感に対する厳しさをこの現場で思い知らされました。あまりの駄目だしの多さに、私は自分の読む箇所ばかりに固執し滅入り、だんだん全体像から遠ざかっていく自分を感じていました。同じ語り部としてご一緒させていただいた平家側の観世葉子さんからはイメージの中で語れと何度も言われましたが、音をとれない箇所が近づいてくるとイメージなんて吹き飛んでしまう自分がいました。また主役の野村万斎さんからは自分を岩のように思ったらとも言われました。

日本人なのになぜ日本語が喋れないのだろう。私は今まで何をしてきたのだろう。そんな自問自答を繰り返し、1ヶ月の東京公演も靄に包まれたように2004年に幕を閉じ、2005年の年が明けて地方公演が待ち構えていました。壇の浦に皆で赴きました。その海面を見た時に、わだかまっていた気持ちがスッーと流れていくのを感じました。一からはじめるしかない。源氏と平家の合戦地近くでの公演、観に来てくださるお客さまの活気がびんびんと伝わってきます。私達の息もあがり、舞台は本当にお客様と一緒につくっているのだということ、そして改めてこの作品のスケールの大きさを実感しました。この頃から少しですが肩の力も抜けていったように思います。あれから2年が経ち、今コタツの中で見る「子午線の祀り」は、全体感もよくみえすんなりと私の胸に響いてきます。思えばこれが私の転機でした。感情だけでは芝居はできない。懲りずに稽古をつけてくれた小美濃利明さん、観世葉子さん、そしてこの現場に連れてきてくださった観世榮夫さん。これからはその感謝の気持ちを胸に、いい作品を作り上げることによってお返ししたいと思うこの頃です。

昨年「子午線の祀り」の作家、木下順二さんが92歳でお亡くなりになりました。「夕鶴」、「審判」と感銘深い舞台は今でも心に残っています。こんなにいい作品を残していただいて本当にありがとうございます。また木下さんの作品に出演できたらと節に願っています。安らかにお眠りください。そしてできましたら、どうぞ天空より私達をお守りください。

リンク?ある大芸術家の死ー木下順二氏の最後の身の処し方についてー

(00:34)

2007年03月04日

桜色舞うころ

先週のブログの続き・・・ではありませんが、奇遇にも隅田川のほとり、白髭橋にほど近いビルでしばらく働くことになりました。東武亀戸線、バスを乗り継いで辿り着いた職場。窓下の風景は、まさに春のうららの隅田川です。

一本の芝居が終わると、しばらくは脱力状態で半ば引きこもりの1ヶ月。ぬくぬくと温かい布団に未練を残しつつ、すっかり春めいてきた街に出ると袴姿のお嬢さんが闊歩している。もうそんな季節なのだな。ふと過ぎ去りし日が心をよぎる。・・・大学の卒業式と劇団の旅公演の出発の日が重なった。劇団の座長に相談すると、意外にも式に出てから遅れて来ればよいとの許しが出た。卒業後の就職も蹴ってしまった私にとって、卒業式の袴姿を見せることがせめてもの親孝行との思いもあった。しかし、直前にそれを知った照明の某氏から一喝された。芝居を志す覚悟の甘さを突かれ、涙がこぼれた。私は未熟で本当に何もわかっていなかった。せめて写真だけでも撮りなよと劇団の先輩が紺色の袴を貸してくれた。今思えば、それぞれの思いがすべて胸に沁みて感謝なのである。

それは忘れられない旅公演になった。出発の時、国鉄だった東京駅は旅を終えて帰ってきた時JRになっていた。区切りの時、決断の時には、なにかしら選んだり、流れてくるものに身を任せたりして生きてきた。劇団からはまだちゃんと卒業できていない。

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(23:09)