2005年06月
2005年06月26日
本公演は終了いたしました。
見に来て頂いた皆様ありがとうございました!
見に来て頂いた皆様ありがとうございました!
2005・オフィス樹 アトリエ劇場 No.2

坂本 容志枝 ★ ひとり芝居
「母子かづら」
「母子かづら」
原作/永井路子 脚色・演出/原 武彦
監修/岩村久雄(文学座)
*同時上演 堀越 富三郎☆ひとり芝居
「ハルピン帰りのヤスケ」
日時 7月29日(金) 14 時 / 19 時
7月30日(土) 14 時 / 19 時
7月31日(日) 14 時
場所 アトリエ樹
(地下鉄 中野坂上駅徒歩7分/JR東中野駅徒歩10分)
料金 前売/ \2500 当日/ \2800 (日時指定自由席)
お問い合せ 03-5337-8368(アトリエ樹)
詳細はこちらをクリック →オフィス樹HP

(03:17)
2005年06月16日

本公演は終了いたしました。
見に来て頂いた皆様ありがとうございました!
見に来て頂いた皆様ありがとうございました!

勝田演劇事務所プロデュースNO.15/ザムザ阿佐谷提携公演
今宵は一幕劇を ~ピランデッロ一幕劇集~
作/ルイージ・ピランデッロ 演出/勝田安彦
日時 7月6日(水) 19時 A
7日(木) 19時 B
8日(金) 14時 B /19時 A
9日(土) 14時 A /19時 B
10日(日) 14時 A
吉村は A に出演!!
場所 ザムザ阿佐谷(JR阿佐ヶ谷北口徒歩3分)
料金 一般 ?3500 学生 ?2500
出演者 村松恭子 猪又太一 吉村恵美子 磯貝誠 中島忍 他
現代の演劇に多大な影響を与えたイタリアの劇作家ピランデッロの一幕劇を三本立てでお送りします。グロテスクな笑いと官能に彩られた愛と死の物語。私(吉村)は三本目の「これは夢、それとも」に出演。中島忍さんとの二人芝居で、夢と現実が交錯し、次第に境界線が曖昧になってゆく怪しい世界をお届けします。ぜひ足をお運び下さい。
(15:51)
2005年06月15日

『ZORA』は坂本容志枝と吉村恵美子による、演劇ユニットです。2004年の11月からHPをお休みしておりましたが、めでたく再開!これから始めようとしている芝居のことや、日々感じたことなど綴ってまいります。
「お久しぶり」の方も、「初めまして」の方も、これから末長く、どうぞよろしくお願いします。
気がつけばもう随分長いこと芝居に関わっている。
芝居を始めた頃はいわゆるバブルの時代でその浮かれた風潮に違和感を覚え、反発するような気持ちもあって、地下(アンダーグランド)へ潜った。
あの頃の稽古場は地上の脳天気さと反比例するように、薄暗く、薄汚く、煙草の煙でいつも空気が淀んでいた。その小さな世界の中で居場所を見つけ、存在を探りながら、夢中でやってきた。ゴラクとしての演劇ではなく、突きつけ、揺さぶり、呼び起こすような芝居。
世紀末の20年をひたすらそのように過ごした。
1999年世界は滅亡しなかったが、新しい世紀と共に、体内で何かが滅亡し、新しい生命が宿るのを感じた。それはとても小さな卵だったが、産む決心をした。
新しい世紀の初めの年、ZORAは産まれた。
チェーホフの女達の苛立ち、飢餓を現代の女の視点から再構成した2001年「心象・三人姉妹」。カミュの不条理劇を幻想的な寺を舞台に甦らせた2002年「誤解・ドロップ」。2003年の「卵-ホームレスウーマンモノローグ」では、初のオリジナル作品に挑み、自分たちの身近な題材、抱えている問題から不変的な「性」を描き・・・ 年に一本のペースで芝居を作ってきた。2004年はお休みしてそれぞれの活動に専念。そして、満を持しての2005年ZORA第4回公演。今秋冬を予定してます。詳細は近日当サイトにて!
「異邦にありて、ひたすら私は書く、不可能な愛の物語を」
数年前よりアゴタ・クリストフに惹かれている。
ハンガリーに生まれ、幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、社会主義国家となった母国を捨てて西側に亡命。貧困、労働、言語の違い、子育て、様々な枷を負いながら小説、戯曲を(現在に至るまで)書き続けている女性。
その作品は、一見冷酷で諧謔的だが、力強く愛に溢れている、と私は思う。
彼女の世界と、今(彼女とは比べ物にはならないが)様々な枷を負って芝居を続ける私たちのモンダイとを絡めながら、新作を立ち上げていこうと思っている。
(22:07)
2005年06月14日

皐月晴れの陽光を受けて病院内の観葉植物も息をする。携帯電話の電波から遮断され、排気ガスとも別れ、無意味なおしゃべりからも遠ざかり、ただ時間が流れている。コンサートは終わり三々五々となるが、母は少し歩くというのでその後をついていく。母の背中にある浴衣の花模様を見ながら、コンサートで聞いたある歌詞のフレーズが耳に残る。出会い別れ、そして今がある。今に至るまでの私の中での忘れ去られた断層が、その歌詞のフレーズに呼び起こされ、少しずつ膨張し広がり始めた。その断層は幼少の頃愛されることは風のように当然のことであっただろう時の、記憶である。

母の背中の花模様に白い蝶々が止まる。ひらひらと羽ばたくその羽と羽の隙間に私は吸い寄せられ、何かに背中を押されるように真っ白なトンネルの中に放り出される。そしていつしか生えた羽を羽ばたかせ私は一気に飛び始めた。どこへ飛んでいけばよいものかわからないでいると、トンネルの先からかすかな光りが見えはじめ私はその方向に加速していく。真っ白なトンネルを抜けきると、今度は一台のジェットホイールに乗船している。浜離宮を背にレインボーブリッジを潜り抜け、東京湾をあとにする。輝くばかりの海面をジェットホイールは波しぶきをあげ、海水の中で羽を広げ、船体は宙に浮いていく。わたしはよろめきながらデッキをはいはいする。なぜか私は赤ちゃんになっているのだ。必死ではいはいを繰り返し船室に入ると、中では死んだ父がキリンビールを飲んでいる。そう、いつだってキリンだったと私は確認する。
父は私を抱き上げ、高いたかいをする。
「やめてよ、恥ずかしい」
喋っている私は40すぎで、からだは立つこともできない赤ちゃんなのである。
「重くなったな…。」
「もういいから、おろしてー」
私は暴れ周り、父の手から落ちたと思うと下半身はうろこ状態になり上半身は裸になっている。父は消えている。テーブルの上にある冷えたビールを尾でひっくり返し水分を補給する。なぜか人魚姫となった私は船室を抜け出し、海に飛び込む。不思議なくらい息が続き深海魚となる。プランクトンになり藻になる。ああー息ができる。藻になった私は揺らめきながらやがて胎児となり、母の羊水の中で息をしている。やがてその中が窮屈になると、私は足でその膜を突き破る。するとまたたくまに呼吸困難になり心臓が締めつけられる。背後に人の気配がし振り向くとなぜか水戸黄門に扮した父は、私に印籠を渡すかのごとく「この紋所が目に入らぬか」と言いかけ間違えたのか「この酸素マスクが目に入らぬか」と訂正する。私はヤッター!と覚えたての護身術で父の股間を蹴りつけ酸素マスクをゲットする。股間を蹴りつけられた父は、娘にこんな仕打ちをされるとはと怒り狂い私から酸素マスクを奪ってしまう。私はのた打ち回り、又はいはいを始める。助けて助けてと魚くさい路上にへばりつき、必死でホフク前進を繰り返しある病院にたどりついた。
1705号室。母が眠っている。人の終わりはなぜ死なのだろうか?私にはわからないことがいっぱいある。終わりと思うからいけないのか。眠っていた母が目を覚まし私に話しかける。その言葉に私はうすく切れる。さびしいという気持ちはどこから来るのだろう。ひとりでいても、いろいろなものと話すことができる。例えば「ひとり芝居」というものがある。昔は人と会話をしなくては芝居ではないと思っていたところがあった。でももう少し耳を傾けると、人は空気と自然と目にみえないものと会話できるかもしれない。

泥臭い潮の香りがするこの埋立地で私は生まれた。平屋ばかりだったこの街は、今では高層ビルが立ち並び、私が今いるこの17階の病院からも、そのビルのネオンが海に光り輝いている。時は流れる。幼少の頃、大晦日になると東京湾に浮かぶ船舶が一斉に汽笛を鳴らすのを聞くと、子供心にも年の終わりと新しい年への期待感で胸が震えた。生きている喜びは、ひとりでそっとほくそえむ時があってもいいけど、やっぱり傍らに一緒にいてくれる人がいて2乗、3乗かな?次第に暮れ行く東京湾を眺めながら、ハープ奏者の彼女が言った言葉をふと思いだした。「どうぞ今日一日がよい日になりますように」
(22:37)