2010年01月
2010年01月24日
永訣の朝

両親はあまり仲の良い夫婦ではなかった。と思っていたが、母が亡くなると父は泣いていた。寂しそうにしていた。人はそう簡単には死なない。と思っていたが、母も父も簡単に死んでしまったように思う。いつまでも居てくれる。と思っていた。大好きな父が居なくなってしまった。穏やかでやさしい、にこにこ顔の。
葬儀を終え、寒波の翌日の少し暖かい日、大荷物を抱えて戻ると、脱ぎ散らかした服、開けっ放しのひきだし、部屋は悲しいことが起こる前の時間で止まっていた。年末の芝居、年が明けてからのこと、もうずいぶん昔のことのように思える。
大人になってからも霊柩車をみるたび親指を隠していたのに、死に目に会うことができなかった。両親から受けた計り知れない愛情をどこへ返したらよいのだろう。いつも、ずっと守られてきた。そこからの訣別。
さて、今日は新年会です。

なかなか外に出る気にならず引きこもっていたら、相棒サカモトと敬愛するセンパイ宮島さんがうちに来てくれました。日の高いうちからビール飲み、お土産のブルーチーズをつまみにワイン飲み、相撲の千秋楽見ながら日本酒飲み、すっかりできあがってしまいました。芝居の話、映画の話、昔話、駄話は尽きず、気がつけば大笑いしていました。懲りない酔っぱらいども、ありがとう。持つべき者は、です。
今年もよろしくお願いします。遅ればせながら。

両親はあまり仲の良い夫婦ではなかった。と思っていたが、母が亡くなると父は泣いていた。寂しそうにしていた。人はそう簡単には死なない。と思っていたが、母も父も簡単に死んでしまったように思う。いつまでも居てくれる。と思っていた。大好きな父が居なくなってしまった。穏やかでやさしい、にこにこ顔の。
葬儀を終え、寒波の翌日の少し暖かい日、大荷物を抱えて戻ると、脱ぎ散らかした服、開けっ放しのひきだし、部屋は悲しいことが起こる前の時間で止まっていた。年末の芝居、年が明けてからのこと、もうずいぶん昔のことのように思える。
大人になってからも霊柩車をみるたび親指を隠していたのに、死に目に会うことができなかった。両親から受けた計り知れない愛情をどこへ返したらよいのだろう。いつも、ずっと守られてきた。そこからの訣別。
さて、今日は新年会です。

なかなか外に出る気にならず引きこもっていたら、相棒サカモトと敬愛するセンパイ宮島さんがうちに来てくれました。日の高いうちからビール飲み、お土産のブルーチーズをつまみにワイン飲み、相撲の千秋楽見ながら日本酒飲み、すっかりできあがってしまいました。芝居の話、映画の話、昔話、駄話は尽きず、気がつけば大笑いしていました。懲りない酔っぱらいども、ありがとう。持つべき者は、です。
今年もよろしくお願いします。遅ればせながら。
(21:37)
2010年01月17日
フラワーロード

先週、吉村さんのお父様が亡くなった。吉村さんは数年前にもお母様を登山で亡くしている。その時も私は、駅から、この見知らぬ街の長いフラワーロードを歩き通夜に出向いた。今日もその時と同じ葬儀場であったため、私は数年ぶりにこの長いフラワーロードを歩いた。寒空のなか、昭和の名残を残す商店街は、日曜の夜とあって、皆早く閉店している。葬儀場に着くと、そこにはいつも見る吉村さんとはちがう、吉村弘さんの娘、吉村恵美子さんがいた。お父様には感謝の気持ちをお祈りした。私達は子供も産まず生きてきてしまったけど、親たちはよくぞ小さな娘だった私達を育ててくれた。
帰り道、再び長いフラワーロードを歩きながら、いろんなことを思った。花の天国は本当にあるのかな?死の世界だけは、誰も書き残してくれていないから、わからない。寒くて駅前の日高ラーメンでタンメンを食べ、電車に飛び乗った。朝5時から起きているせいか、夕食を食べたら睡魔が急に押し寄せてきた。うとうとしていると、若い子たちが酔っ払いキスするぞーなんて騒いでいる。千鳥足でもう少しで近くにいた私にぶつかりそうになり、仲間の子がすみませんと私に謝ってきた。なんだか昨年の公演で老婆をやったせいもあるのか、自分が急に年配なかんじがしてきて困ってしまった。そしてそのすみませんという響きが、妙にさわやかでなつかしく、心地よかった。
ゆっくり元気になってね、吉村さん。

先週、吉村さんのお父様が亡くなった。吉村さんは数年前にもお母様を登山で亡くしている。その時も私は、駅から、この見知らぬ街の長いフラワーロードを歩き通夜に出向いた。今日もその時と同じ葬儀場であったため、私は数年ぶりにこの長いフラワーロードを歩いた。寒空のなか、昭和の名残を残す商店街は、日曜の夜とあって、皆早く閉店している。葬儀場に着くと、そこにはいつも見る吉村さんとはちがう、吉村弘さんの娘、吉村恵美子さんがいた。お父様には感謝の気持ちをお祈りした。私達は子供も産まず生きてきてしまったけど、親たちはよくぞ小さな娘だった私達を育ててくれた。
帰り道、再び長いフラワーロードを歩きながら、いろんなことを思った。花の天国は本当にあるのかな?死の世界だけは、誰も書き残してくれていないから、わからない。寒くて駅前の日高ラーメンでタンメンを食べ、電車に飛び乗った。朝5時から起きているせいか、夕食を食べたら睡魔が急に押し寄せてきた。うとうとしていると、若い子たちが酔っ払いキスするぞーなんて騒いでいる。千鳥足でもう少しで近くにいた私にぶつかりそうになり、仲間の子がすみませんと私に謝ってきた。なんだか昨年の公演で老婆をやったせいもあるのか、自分が急に年配なかんじがしてきて困ってしまった。そしてそのすみませんという響きが、妙にさわやかでなつかしく、心地よかった。
ゆっくり元気になってね、吉村さん。
(22:24)
2010年01月09日
「あ」ではじまることば

昨年の「椅子」の公演に、お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。さまざまな意見をいただきながら反省することも多々ありますが、ZORAとしましては反響の大きい公演であったことは、喜ばしいかぎりだと思っています。演出の扇田さんには、本当にお世話になりました。公演後の打ち上げ時まで、一滴のアルコールも飲まず扇田さんは動いてくださり、感謝の気持ちも伝えらないまま、年を越し、先日ようやく三人で打ち上げをし肉を平らげました。公演が近づくにつれ、扇田さんは静かでありながら、沸々としたエネルギーが炎のように燃え、それに答えられない自分が情けなくもありました。でも終わりました。
江森盛夫の演劇袋
今年になって、表参道へ。
能を習い、よく通ったこの街とも観世榮夫さんの追悼公演「隅田川」を最後に遠ざかっていました。観世さんの大きな愛に甘えすぎていて、先生が亡くなってから、能とどう対面したらいいのか答えもでていませんでした。そして時間は過ぎて行きました。
昨年の秋、追悼公演の際に監修していただいた観世流能楽師、柴田稔先生と久しぶりに会う機会があり、能を再度、習おうと決めました。どうつきあっていくか答えはでていませんでしたが、もやもやしていてもはじまらない、迷っているなら行動するしかないと思ったのです。でもそんなもやもやは、久しぶりに能舞台に立ち、すぐに吹き飛びました。理由はわからないけれど、私は能舞台が好きなのです。理屈ではなく、スーッと体になじんでくるのです。

隣で番を待っていた88才のおばさまのお稽古がはじまり、「卒塔婆小町」の謡を語ります。色気があり恐れ入ります。「女ならやはり死ぬ前にこれをやらなくちゃ」と私に微笑みかけます。そういえば榮夫先生も、次は「卒塔婆小町」と言っていた。今、私はこの「卒塔婆小町」のおばあさんの心がわかるようになりました。これからの私に表現できることは、まだある。
卒塔婆小町
そして稽古を終え、榮夫先生とよく行ったおそばやさんに二年ぶりに行ってみました。榮夫先生は、亡くなる数ヶ月前にはこの階段を登るのも辛そうでしたが、私が大丈夫ですかというと「うるさい」と言ってむりやり登って行ってしまいました。そんなあれこれを思い出すたびに涙がふきでそうになります。でももう悲しむのはなるべくやめます、新しい年になりました。喪に服す時間は、ようやく過ぎ去っていったのかもしれません。それもこれもこのZORA公演「椅子」を成し遂げた充実感があるからでしょう。扇田さんは若いのに、とてもいい演出をしてくれました。生きているものも死んだものも、そして物にも魂は宿っている。私にはこの街に、榮夫先生の亡霊がさまよっている気がしています。その亡霊に包まれながら、私は新しい先生の元、とりあえず能を再開してみようと思います。
謡の稽古のなかで、東(あずま)遊びの「あ」の音が篭り、暗いよ!と今日は何度も言われました。声を発する前に、構えてしまう癖を直すべく、私の今年の目標は、素直にストレートに。そして「あ」を明るく発するぞー。あなた、あんた、あたし、ありがとう・・・。
あけましておめでとうございます。

昨年の「椅子」の公演に、お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。さまざまな意見をいただきながら反省することも多々ありますが、ZORAとしましては反響の大きい公演であったことは、喜ばしいかぎりだと思っています。演出の扇田さんには、本当にお世話になりました。公演後の打ち上げ時まで、一滴のアルコールも飲まず扇田さんは動いてくださり、感謝の気持ちも伝えらないまま、年を越し、先日ようやく三人で打ち上げをし肉を平らげました。公演が近づくにつれ、扇田さんは静かでありながら、沸々としたエネルギーが炎のように燃え、それに答えられない自分が情けなくもありました。でも終わりました。
江森盛夫の演劇袋
今年になって、表参道へ。能を習い、よく通ったこの街とも観世榮夫さんの追悼公演「隅田川」を最後に遠ざかっていました。観世さんの大きな愛に甘えすぎていて、先生が亡くなってから、能とどう対面したらいいのか答えもでていませんでした。そして時間は過ぎて行きました。
昨年の秋、追悼公演の際に監修していただいた観世流能楽師、柴田稔先生と久しぶりに会う機会があり、能を再度、習おうと決めました。どうつきあっていくか答えはでていませんでしたが、もやもやしていてもはじまらない、迷っているなら行動するしかないと思ったのです。でもそんなもやもやは、久しぶりに能舞台に立ち、すぐに吹き飛びました。理由はわからないけれど、私は能舞台が好きなのです。理屈ではなく、スーッと体になじんでくるのです。

隣で番を待っていた88才のおばさまのお稽古がはじまり、「卒塔婆小町」の謡を語ります。色気があり恐れ入ります。「女ならやはり死ぬ前にこれをやらなくちゃ」と私に微笑みかけます。そういえば榮夫先生も、次は「卒塔婆小町」と言っていた。今、私はこの「卒塔婆小町」のおばあさんの心がわかるようになりました。これからの私に表現できることは、まだある。
卒塔婆小町
そして稽古を終え、榮夫先生とよく行ったおそばやさんに二年ぶりに行ってみました。榮夫先生は、亡くなる数ヶ月前にはこの階段を登るのも辛そうでしたが、私が大丈夫ですかというと「うるさい」と言ってむりやり登って行ってしまいました。そんなあれこれを思い出すたびに涙がふきでそうになります。でももう悲しむのはなるべくやめます、新しい年になりました。喪に服す時間は、ようやく過ぎ去っていったのかもしれません。それもこれもこのZORA公演「椅子」を成し遂げた充実感があるからでしょう。扇田さんは若いのに、とてもいい演出をしてくれました。生きているものも死んだものも、そして物にも魂は宿っている。私にはこの街に、榮夫先生の亡霊がさまよっている気がしています。その亡霊に包まれながら、私は新しい先生の元、とりあえず能を再開してみようと思います。
謡の稽古のなかで、東(あずま)遊びの「あ」の音が篭り、暗いよ!と今日は何度も言われました。声を発する前に、構えてしまう癖を直すべく、私の今年の目標は、素直にストレートに。そして「あ」を明るく発するぞー。あなた、あんた、あたし、ありがとう・・・。あけましておめでとうございます。
(12:44)
