2009年11月

2009年11月29日

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残り柿

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今年もあと、ひと月。
そして私たちの公演も迫ってきました。イヨネスコの言葉は、何度も何度も口に出し、噛みしめていると、すうっと染みこんでくる瞬間があります。けれど、そこまでゆくのが本当に大変です。洪水のようなセリフで頭が容量オーバーを訴えるので(もともと容量の少ない器なのです)、今日は少し気分を変え、小道具調達などを兼ね、東京郊外へ。空は高く、空気が澄んでいます。外を歩くのは本当に気持ちが良く、凝り固まった頭と体をすこしゆるめてくれます。

このたびの芝居では老人を演じます。自分たちで選んだ作品とはいえ、フランスの戯曲、過去の作品、老人。自分からは遠い要素ばかりと思えます。共通しているのは「人間」ということくらいです。途方に暮れます。けれど人間というつながりから想像をめぐらせ、過去と今、男性と女性、異国、という壁を取り払うともっと大きなもの、普遍的なものが現れるのではないかと思います。良い戯曲にはそういった力があるのです。あとは、それを今生み出している我々がどこまで行けるか、ということ。

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ところで、一番身近な老人は実家に居ます。
遠出をしたついでに寄ろうかと思いましたが、結局寄りませんでした。

(16:54)

2009年11月23日

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小春日和

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あたたかな陽射しは、何よりの宝物です。雨が降り冷気が心底、身に沁みると、この陽射しに救われるおもいです。火と水。古代の人間にとって、これを得るために、さまざまなレッスンを重ねてきたことでしょう。そういえば知り合いの役者さんが、お金がなくて、電話もガスも電気も止められたとしても、水だけは蛇口から流れてくる。だから死なないよって言われたことも思い出しますにっこり

そして何よりの宝物は人。人が集まると何かが動きだす。三人寄れば文殊の知恵という諺もあるくらいです。昨日は稽古を終え、下北沢で22:00から打ち合わせ。舞台監督の森下さん、美術の加藤ちかさん、舞台勉強のためサポートしてくれる松石君、そして演出の扇田さん。舞台装置の話にどんどん話が膨らみ、大変な事だからこそ案も表出してきます。

私達ZORAも踏ん張らなくてはと思いつつ、でもどこかで息抜きも必要ですからね。正直やることが多くてパンクしそうになります。電車で集中して乗り過ごしてしまったり。今日は目を覚ましたら左目が爆発。きっと結膜炎です。いろんな日々を抱え、でも少しづつ舞台が完成されることを願って、今日は眼帯をかけ稽古に行きます。あと1ヶ月。まだまだ越さねばならぬ山はいっぱいだ!

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松石君  加藤ちかさん  扇田さん


(09:42)

2009年11月14日

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秋深し。

扇田拓也氏のこと

数年前、扇田さんが主宰されている劇団「ヒンドゥー五千回」を観に行ったとき、われわれ二人、「ピン!」と来るものがありました。こういうことは時々あって、そういうときは多くを語らなくても、顔を見合わせ「いいね」と。舞台に表出したものには、寂しさと情熱が共存していていました。訴えかけてくる力がありました。

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「ピン!」と来たものを頼りに、ZORAにお誘いし、昨年は役者として参加していただき、今年は演出をお願いしました。本人はいたってマイペース。淡々と、茫洋と。捉えどころがありません。最近、人生の一大事があったようですが、それでも浮かれた様子も見せず、ゆったりと微笑んでいます。たくさんの演出家を知っているわけではありませんが、こういうタイプはめずらしいのではないかと思います。けれどきっと、とてつもないものを内に秘めているのでしょう。

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『椅子』は、フランスの古い戯曲ですが、読めば読むほどに味わいと発見があり、まだまだ掘り起こし甲斐がありそうです。扇田さんが与えてくれるイメージの力を借りて、わたしたちも個々の能力を引っ張り出して、作品に挑んでいこうと思っています。

・・・あたたかくしてお過ごし下さい。

(14:53)

2009年11月07日

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作家

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イヨネスコの「授業」、「椅子」の2本立て。両国のシアターχに、金曜日の夜に観劇してきました。私はこの日は一日お休みの日ではあったのですが、午前中は肺がん検診、そして図書館で本を探し、午後には実家で母の手料理に甘え、夕方は秋葉原でDM用の買い物をし、夜には両国。東京を横断しドタバタの一日でしたが、夜、芝居を観劇しながら、暗闇のなかで自問自答し、作家の熱に浮かされいい時間を持てたと思いました。

「授業」では教授役の堀越富三郎さん、「椅子」では老婆役の山本光洋さんとも知り合いなので、興味もうなぎのぼりでした。堀越さんは膨大な台詞をそつなくこなし、常磐津の語り、三味線を味方に、ルーマニアのイヨネスコ劇場でみた「授業」とは全く違う趣があって素敵でした。それは書かれている内容がとてもよく伝わってきたからです。ルーマニアのイヨネスコ劇場には、不条理な人間の感覚の強さがダイレクトに伝わり翻弄されましたが、堀越さんの台詞からは、イヨネスコが言葉の音についての内容をいかに伝えたかったか、作家の書きたかったことがよくわかりました。

「椅子」の光洋さんは、私が12月に演じる同じ老婆の役を演じており、私の想像する老婆とは確実に違ったものになるだろうという気がして興味深く拝見させていただきました。そして「椅子」という作品は、まだまだ開拓されていない魅惑の醍醐味を含んでいる作品だということも感じました。

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何はともあれ芝居は好きではありますが、今回は、作家の力強さをひしひしと感じました。どんなに発信する側の創造するイメージが違い上演したとしても、作家の線が強固であれば、その線は揺らがず、可能性は万華鏡のように膨らむ。時代を経ても、それがただあるということが、その作家のがんばりの質の深さがしみじみと伝わってきて、それが今を生きている自分にも勇気づけられるのです。今後もいかにいい作品と関われるか。その言葉の数珠のなかで格闘していきたいですね。

ZORAをはじめた頃は不安だらけでしたが、その不安も今になってみれば他力本願で生きてきた証でもあります。好きな作品を今やれるということは、自分を問いただす作業でもあります。きっとずっと前からこのような状態になることを求めていたのですね。今日は小春日和、でも睡眠時間2時間。これから爆睡します。そして皆さんにDMをお送りいたします。どうぞ、是非来ていただけると、とてもうれしく思います。

(14:45)

2009年11月01日

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昭和

東京下町の共同住宅で私は生まれた。父はサラリーマン。母は主婦。4つ上の姉が居て。新しい家電が幸せのかたちだった。昭和。つましく、ただしく。平凡な家庭を嫌悪した若気の頃もあったけれど、今は無性に懐かしく、ありがたい。

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イヨネスコの台詞と格闘している、日々。
手元にあるのは、イヨネスコ戯曲全集1。あとがきによると「椅子」は1961年に文学座アトリエで初演とある。弁士は高橋幸治が演じている。この戯曲には翻訳者によるたくさんの(注)があり、苦労が忍ばれる。「ただし、あまりきまり文句すぎてやぼ」なんて軽い批評も入っていて、おかしい。そしてさらにわれわれ演出家と役者ふたりは、その台詞を読みとり想像し感じとりながら、ZORAの「椅子」を少しずつ作っている。そこにいる。会話をしている。そこに、ひとがいる。遠い昔の食卓の風景がまた浮かぶ。

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金曜の夜は浅草にダンス公演を見に行った。
千葉真由美さんを見つめていた。ダンサーという人種の体、顔、意志、追いきれないほどの。その薄暗がりの中で、閃くものがあった。会場で会った友人たちと神谷バーへ繰り出し、ナポリタン、カキフライ。ここは紛れもなく、昭和。ああ。

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(17:56)