2009年03月
2009年03月29日
ケツが青い

夜、音楽を聞く時間が長くなりました。今はモンゴルの馬頭琴の音色がとてもフィットします。どこまでも続く大平原を闊歩したくなり、羊肉が食べたくなり、音楽は夢想を膨らましてくれます。
モンゴルといえば、幼少の頃、蒙古斑と言われる青アザが、太もも、お尻に大きくあり、長いあいだ取れませんでした。「ケツが青い」という語源は、蒙古斑が乳幼児の臀部に出現することから、未熟であることを揶揄して比喩的に表現したとも言われています。今私は、ある技術を習得すべき時を過ごしていますが、まさに毎日がこの「ケツが青い」状態。そして乳幼児でもないので、単に覚えが悪く、ただの未熟。悔しいけど「つかえない奴」になり下がっています。
私は芝居をしてきたのに、どこか人見知りで今になってもこの性質は変わらないようです。けれど現在の毎日は、人見知りなんて言っておられず、からだごと他人と深く関わり、そして何よりもびっくりしたのは会話が訓練されるということです。漫才のようでもあり、なだめたり、持ち上げたり、やさしい嘘をついたり、そしてその背後には死という背中合わせの現実があります。なんだか演劇が力を失ってきた起因がこのへんにあるのかななんて思います。

朝、電車のなかは学生でいっぱい。皆勉強しています。近辺には、中学、大学、福祉施設が連なり、まさしく若者の街。陽光が彼らを包み込み、その中から未来に向けて出陣する芽は膨らんでいくのでしょうね。
電車を降りると、いつもかわいい少女とすれ違います。彼女はいつも歌を歌っています。彼女の無垢な表情をみるたび、私も今日一日がんばろうと思います。斜めに人生を見るのではなく、毎日必死に生きる。ちょっと辛いけど実は充実しているのかもしれません。私の当面の目標は「つかえない奴」からの脱出。でもきっと焦らなくてもいいのですね。やっと焦らなくていいも時間の質がわかってきたように思います。

夜、音楽を聞く時間が長くなりました。今はモンゴルの馬頭琴の音色がとてもフィットします。どこまでも続く大平原を闊歩したくなり、羊肉が食べたくなり、音楽は夢想を膨らましてくれます。
モンゴルといえば、幼少の頃、蒙古斑と言われる青アザが、太もも、お尻に大きくあり、長いあいだ取れませんでした。「ケツが青い」という語源は、蒙古斑が乳幼児の臀部に出現することから、未熟であることを揶揄して比喩的に表現したとも言われています。今私は、ある技術を習得すべき時を過ごしていますが、まさに毎日がこの「ケツが青い」状態。そして乳幼児でもないので、単に覚えが悪く、ただの未熟。悔しいけど「つかえない奴」になり下がっています。
私は芝居をしてきたのに、どこか人見知りで今になってもこの性質は変わらないようです。けれど現在の毎日は、人見知りなんて言っておられず、からだごと他人と深く関わり、そして何よりもびっくりしたのは会話が訓練されるということです。漫才のようでもあり、なだめたり、持ち上げたり、やさしい嘘をついたり、そしてその背後には死という背中合わせの現実があります。なんだか演劇が力を失ってきた起因がこのへんにあるのかななんて思います。

朝、電車のなかは学生でいっぱい。皆勉強しています。近辺には、中学、大学、福祉施設が連なり、まさしく若者の街。陽光が彼らを包み込み、その中から未来に向けて出陣する芽は膨らんでいくのでしょうね。
電車を降りると、いつもかわいい少女とすれ違います。彼女はいつも歌を歌っています。彼女の無垢な表情をみるたび、私も今日一日がんばろうと思います。斜めに人生を見るのではなく、毎日必死に生きる。ちょっと辛いけど実は充実しているのかもしれません。私の当面の目標は「つかえない奴」からの脱出。でもきっと焦らなくてもいいのですね。やっと焦らなくていいも時間の質がわかってきたように思います。
(20:34)
2009年03月22日
春を分ける
新しい季節の訪れは不意打ち。昨日まで馴染んでいたコートが急に重く感じられ、なにもかも脱ぎ捨て、一新したくなります。けれど、なにもかも一新するのは結構むずかしく、いろいろ引きずりながら、それでも古い角質や確執はなるべく落として、新しい道を進んで行きたい、春です!

雨が上がって暖かな連休の初め、お墓参りに行ってきました。既にきれいに雑草が刈られ、代わりに可憐な花々が墓石を取り囲むように植えられています。花好きだった母のため、義兄が植えてくれたのにちがいありません。この中に母が居るとも思われないけど、水を掛け、手を合わせると、次々思いがあふれ、この半年のことを報告していると、なぜだか最後は謝罪の言葉ばかりになってしまいます。母は相好を崩さず、ただ黙って聞いているようです。嘘をついた時の気まずさ、期待に添えない苛立ち、その思いが消えず、未練がましくおしゃべりをして腰を上げると、急に強くなった日射しに立ちくらみ。黄砂で濁る空。
私は私でやっていきます。
と、踏ん切りをつけて、帰途、家から適当に持ってきた文庫本を開くと一気に入り込んでしまう。

古井由吉『杳子・妻隠』
異性という異形を崇め、恐れる気持ち。まわりくどく不器用な人間の有り様に惹かれ、生きづらさから逃げない姿勢に打たれる。現代への失望と自戒。楽をしちゃいけません。それにしても、異性に対する畏敬の念などというものは、もはや存在しないのであろうか。
ふと思う。やはり母とは違う道を行く娘なのである。
新しい季節の訪れは不意打ち。昨日まで馴染んでいたコートが急に重く感じられ、なにもかも脱ぎ捨て、一新したくなります。けれど、なにもかも一新するのは結構むずかしく、いろいろ引きずりながら、それでも古い角質や確執はなるべく落として、新しい道を進んで行きたい、春です!

雨が上がって暖かな連休の初め、お墓参りに行ってきました。既にきれいに雑草が刈られ、代わりに可憐な花々が墓石を取り囲むように植えられています。花好きだった母のため、義兄が植えてくれたのにちがいありません。この中に母が居るとも思われないけど、水を掛け、手を合わせると、次々思いがあふれ、この半年のことを報告していると、なぜだか最後は謝罪の言葉ばかりになってしまいます。母は相好を崩さず、ただ黙って聞いているようです。嘘をついた時の気まずさ、期待に添えない苛立ち、その思いが消えず、未練がましくおしゃべりをして腰を上げると、急に強くなった日射しに立ちくらみ。黄砂で濁る空。
私は私でやっていきます。
と、踏ん切りをつけて、帰途、家から適当に持ってきた文庫本を開くと一気に入り込んでしまう。

古井由吉『杳子・妻隠』
異性という異形を崇め、恐れる気持ち。まわりくどく不器用な人間の有り様に惹かれ、生きづらさから逃げない姿勢に打たれる。現代への失望と自戒。楽をしちゃいけません。それにしても、異性に対する畏敬の念などというものは、もはや存在しないのであろうか。
ふと思う。やはり母とは違う道を行く娘なのである。
(15:30)
2009年03月15日
リセット

今週は2本の舞台を観劇してきました。忙しさのなかではありましたが、演劇仲間、評論家の方たちの笑顔にふれることができました。他の方々からも、沢山のご案内をいただきながら、なかなか行けず申し訳なく思っています。
・「PW」 作・演出 鐘下辰男 :本多劇場
・「凶家」 作 李ヘジェ 演出 篠本賢一 :シアタートラム
慣れない世界に飛び込み、今月から学校にも通い始めます。全てが新しいことなので、毎日起こることに言葉を失くしている自分。気づくと夕方。口内炎ができた粘膜を舌で確認し、どきまぎしている心臓の位置を確かめ、ふとため息が漏れます。
台詞がからだに落ちるとよく聞くけれど、そのような状態になれることが私自身も目標とするところです。理屈ではないその人物像の何がしかの感性、匂い、癖。からだが充満しハチキレ、そこから言葉がこぼれてくる。改めて観念でいっぱいになっている脳に、冷水ととうがらしでもふりかけねば、もうカチカチ山です。
役者は繊細な一線を保っていないと、自分の癖ばかりが露出し、本来描き出さねばならない人物像を浮き彫りにすることはできないのではないかと危惧します。まして年を重ねてくると、癖はどうしょうもなくこびりつきそれさえも気づかなくなります。リセットする感覚。そのためにも何でもいいから、教えを請う作業のなかで、自分をみつめなおす時間が必要だと最近つくづく感じます。舞台への熱い思いが、観客席の暗闇のなかで沸々とこみあげてきます。

今週は2本の舞台を観劇してきました。忙しさのなかではありましたが、演劇仲間、評論家の方たちの笑顔にふれることができました。他の方々からも、沢山のご案内をいただきながら、なかなか行けず申し訳なく思っています。
・「PW」 作・演出 鐘下辰男 :本多劇場
・「凶家」 作 李ヘジェ 演出 篠本賢一 :シアタートラム
慣れない世界に飛び込み、今月から学校にも通い始めます。全てが新しいことなので、毎日起こることに言葉を失くしている自分。気づくと夕方。口内炎ができた粘膜を舌で確認し、どきまぎしている心臓の位置を確かめ、ふとため息が漏れます。
台詞がからだに落ちるとよく聞くけれど、そのような状態になれることが私自身も目標とするところです。理屈ではないその人物像の何がしかの感性、匂い、癖。からだが充満しハチキレ、そこから言葉がこぼれてくる。改めて観念でいっぱいになっている脳に、冷水ととうがらしでもふりかけねば、もうカチカチ山です。
役者は繊細な一線を保っていないと、自分の癖ばかりが露出し、本来描き出さねばならない人物像を浮き彫りにすることはできないのではないかと危惧します。まして年を重ねてくると、癖はどうしょうもなくこびりつきそれさえも気づかなくなります。リセットする感覚。そのためにも何でもいいから、教えを請う作業のなかで、自分をみつめなおす時間が必要だと最近つくづく感じます。舞台への熱い思いが、観客席の暗闇のなかで沸々とこみあげてきます。
(16:06)
2009年03月09日
春待ち、霧散。
冷たい雨と快晴の日が交互に訪れ、だんだんと春に向かう様相です。

ZORAは秋冬の公演に向けての助走(の前の準備体操?)期間。いろいろな戯曲を読みながら、方向を探っています。この日のテキストはイヨネスコの『椅子』。老人と老婆のほぼ二人芝居です。不条理、実験的と評されるイヨネスコですが、声に出して読んでみると、台詞はひとつひとつ「生きた言葉」と感じます。自然、欲、関係性、慈しむ気持ち、そして最後には腐敗してしまう人間。人生のエキスが凝縮してしまった老人の口から洪水のようにあふれる言葉は、ただ、言葉であり、意味づけられることを拒んでいるようでもあります。台詞と格闘しながら、なんとか読み終えると、二人ともぐったりと倒れてしまうほど消耗していました。崩壊、霧散、名づけえぬもの、なにかこの感じを現したい。公演に向けて、じっくりとまた創る作業を続けていきます。
ウジェーヌ・イヨネスコ
冷たい雨と快晴の日が交互に訪れ、だんだんと春に向かう様相です。

ZORAは秋冬の公演に向けての助走(の前の準備体操?)期間。いろいろな戯曲を読みながら、方向を探っています。この日のテキストはイヨネスコの『椅子』。老人と老婆のほぼ二人芝居です。不条理、実験的と評されるイヨネスコですが、声に出して読んでみると、台詞はひとつひとつ「生きた言葉」と感じます。自然、欲、関係性、慈しむ気持ち、そして最後には腐敗してしまう人間。人生のエキスが凝縮してしまった老人の口から洪水のようにあふれる言葉は、ただ、言葉であり、意味づけられることを拒んでいるようでもあります。台詞と格闘しながら、なんとか読み終えると、二人ともぐったりと倒れてしまうほど消耗していました。崩壊、霧散、名づけえぬもの、なにかこの感じを現したい。公演に向けて、じっくりとまた創る作業を続けていきます。
ウジェーヌ・イヨネスコ
(04:12)
2009年03月01日
西行桜
春まだ遠い冷気のなか、渋谷、松涛の閑静な住宅街をぬけて、久しぶりに観世能楽堂で能を観劇してきました。大槻文蔵さん「西行桜」。燐とした気品ある立ち姿に、やはり能はすてきだなと思いました。装束の色合いが、普段の生活では目にしない薄オレンジ色の淡くやさしいあたたかさ、そしてとにかく美しい。眠っていた色彩感覚を呼びおこさせてくれます。西行桜は、蝋燭能としても上演されているようで、こちらも今後、是非観劇したいものです。
西行桜
そして私自身、桜といえば森鴎外さんの「高瀬舟」です。以前に脚本家原武彦さんに何度か朗読の指導をしていただきました。この作品を埋もれさせたくないと思っています。桜散る4月にお寺の境内で上演できると、とても素敵だろうな
高瀬舟
終身雇用崩壊中。演劇を続けていくうえで私の生活も世の中の煽りを受け、またそれゆえにこれまでにない新体験をし、自分の細胞も確実に入れ替わっていく気がしています。本日3月に突入。桜の開花まであと1ヶ月。今年の桜はどのような気持ちで愛でることができるのでしょうか?とても楽しみです。その前にひな祭り、春分の日。自然はたくさんのことを教えてくれます。ちなみに西行は「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」と言っておられます。

春まだ遠い冷気のなか、渋谷、松涛の閑静な住宅街をぬけて、久しぶりに観世能楽堂で能を観劇してきました。大槻文蔵さん「西行桜」。燐とした気品ある立ち姿に、やはり能はすてきだなと思いました。装束の色合いが、普段の生活では目にしない薄オレンジ色の淡くやさしいあたたかさ、そしてとにかく美しい。眠っていた色彩感覚を呼びおこさせてくれます。西行桜は、蝋燭能としても上演されているようで、こちらも今後、是非観劇したいものです。
西行桜
そして私自身、桜といえば森鴎外さんの「高瀬舟」です。以前に脚本家原武彦さんに何度か朗読の指導をしていただきました。この作品を埋もれさせたくないと思っています。桜散る4月にお寺の境内で上演できると、とても素敵だろうな

高瀬舟
終身雇用崩壊中。演劇を続けていくうえで私の生活も世の中の煽りを受け、またそれゆえにこれまでにない新体験をし、自分の細胞も確実に入れ替わっていく気がしています。本日3月に突入。桜の開花まであと1ヶ月。今年の桜はどのような気持ちで愛でることができるのでしょうか?とても楽しみです。その前にひな祭り、春分の日。自然はたくさんのことを教えてくれます。ちなみに西行は「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」と言っておられます。
(20:43)