2009年02月

2009年02月22日

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愛の渦

新宿の劇場、シアタートップスが3月で閉館になるという噂を聞き、公演中のポツドール「愛の渦」を観に行ってきました。

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シアタートップスは1985年、ちょうど私が劇団に入った年に開館しました。新宿の一等地、カフェも併設したトップスのビルは当時とてもお洒落に映りました。観客として、MODE、南河内万歳一座などたくさんの芝居を見ました。のちにかかわることになる「かもねぎショット」を初めて見たのもトップスでした。二度ほど出演もしましたが、舞台裏はなかなかデンジャラス。楽屋が狭いので外階段に避難し、新宿の雑踏を見おろしていたことなど、様々なことが思い出されます。この場所にこの規模の劇場が存在すること、その意義は大きかったと思います。事情はわかりませんが、閉館は惜しまれます。

シアターアプル、ベニサンピット・・・思い入れのある劇場が次々と閉館してゆく中、われわれも演劇を行う「場所」について、改めて考えていこうと思います。

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この日観た「愛の渦」は人間のスケベ心を微細に丁寧に描いてはいるものの、さらけ出している分、隠微ではなく、かといってグロテスクの域までも行っておらず。ただ、密室で一夜を共にした感覚にはなり、朝帰りの太陽はなぜあんなにも寂しく、白々しいのかという気持ちを共有することはできました。「性」の捉え方、描き方は、表現者として大きな課題です。ポツドール。こういうやり方もあるのですね・・・未知なる芝居と出会える楽しみもトップスにはありました。

ポツドール「愛の渦」

尚、3/18より『さよならシアタートップス 最後の文化祭』が催されるようです。
詳細はこちら

(10:26)

2009年02月15日

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死の教室

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最近、※カントールの「死の教室」の舞台をよく思いだします。二十年以上も経つのに、私のなかでこの芝居に勝るものを観たことがないことに、なんだか愕然とするのです。あの老人たちの強いエネルギー。結晶化された泉だけが噴出していました。

日本人の老人はもはや、インドネシア人に介護を協力してもらう時代が訪れました。自分の国のことさえ、自国で責任をとれないのです。単純に自分の親は自分で責任を持てばいいだけの話だと思うのですが、でも皆さまざまな状況があるのですから無責任なことは言えませんけれど、私は自分の親は自分で介護したいと思います。父は肝臓がんから肝硬変になり他界しましたが、発覚してからそのスピードの速さと、私も若くただ動揺し何もできませんでした。今でもその時の無念さを思いだすと悲しくなります。核家族の中で暮らし家族がいつか死ぬということも、まるっきり予測できずにいたのです。

人間の醜さを目にするたび、そんなもんのために生まれてきたんじゃないだろう!と叫びたくなります。だからこそ本当に幸せにならなくてはと思うのです。自分が幸せにならなければ人にもやさしくなれない気がするのです。そのためにはいい仲間にめぐり合うこと、そしてやさしいパートナーと共に歩くことチュー

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春一番が吹いた翌日、松田聖子さんの「瑠璃色の地球」をふと街中で耳にしました。この歌が素直に胸に響きました。この人の息の長い魅力は、いつも前向きに幸せになろうとしている努力。愛されたい思いが誰よりも強い。眩い光の中、これからはもっと実のある作品を創れる気がした春を思わせるあたたかな一日でした。

瑠璃色の地球

タデウシュ・カントール: ポーランド現代演劇を代表するする演出家の一人。劇団クリコット2を率いて1982年に来日、第1回利賀フェスティバル(世界演劇祭)に参加。「死の教室」公演は評判となった。著書は「死の演劇」「芸術家よ、くたばれ! 」など。


(20:49)

2009年02月05日

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演劇のチカラ 

リチャード三世

赤坂ACTシアターに「リチャード三世」を見に行きました。赤坂。TBSの巨大なタワーの下にはスケートリンク、きらびやかなイルミネーション。少々まがい物のニューヨークみたいになってしまった赤坂を複雑な思いで眺めながら、それでも浮き浮きと歩きました。冬の夜気は澄んでいます。

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お芝居をあまり見ない方でも、シェイクスピアの名前は知っているのでは。演劇の脇道を歩いてきた私とて、マクベス、ハムレット、タイタス・アンドロニカスなどのシェイクスピア体験があります。思えば、中学の頃、劇団四季の「ヴェニスの商人」に衝撃を受け、日下武史のシャイロックを真似たりしたこともありました。

リチャード三世。古田新太のリチャードです。映像もいいですが、舞台の彼は格別です。どんな怪演を見せてくれるのか、期待していったところ、怪演まったくなし。古田リチャードは、暗い部屋でパソコンに向かって延々と「死ね死ね死ね死ね死ね」と無表情にキーを叩き続けるような、虚空に向かって呟くような。叫ぶより悲痛に、訴えるより切実に、リチャードという人物があぶり出されてきます。対照的にグラムロック調の衣裳や、音、装置がド派手でバカバカしく、静謐と猥雑が渾然となり、結果としてすごく楽しめる舞台になっていました。これは演出(いのうえひでのり氏)が相当うまいのだと思いました。

戯曲は解釈によってどんなふうにも変わります。シェイクスピアの戯曲は親子、男女の身近で普遍的な葛藤が描かれ、詩的な、時に過剰とも思える台詞の中には数多くの謎が隠されています。こうしてみると、シェイクスピアは挑み甲斐のある作家なのだということが、改めて納得されます。400年前の作品に挑むこと、心動かされること、演劇のチカラですね。


(22:32)

2009年02月01日

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寒中お見舞い申しあげます。

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家飲みにハマる。

先週はサカモト邸におじゃまし、手料理をごちそうになりながら、お酒を飲み、すっかり(人の)家で飲むのって、楽しいし、くつろげるなーと味をしめていたところ、今週はミヤジマ邸に招かれ「蕨」まで馳せ参じました。劇団の先輩であり、12月の公演に出て頂いた宮島健さんは、築地市場で働いていたこともあり、魚にはこだわりがあるらしく、この日は、自ら仕入れ、さばきを担当、魚尽くしのおもてなしを受けました。マグロ、ブリのお刺身に始まり、サーモンのサラダ、生鱈と白子の鍋、さらにその鍋に牡蠣を投入。なんという贅沢!うどんでしめて大満足、大満腹!あるじ、その奥さま、ZORA 2名で座卓を囲み、おおいに飲み、1月ギリギリ末日、大新年会の夜でした。

世の中は不景気だそうです。かくいう我々も公演という祭りの後の現実、その寒風に晒され、しばし茫然。少々消沈気味ではございましたが、美味しい肴とお酒に勝るシアワセなし、今宵心身ともに暖まり、活力が湧き、未来話に花が咲きました。

木の引き戸、お父様から引き継いだ盆栽、二匹の猫。お宅訪問の楽しさは、その人を知る楽しさでもあります。

(20:28)